プルドックのホームワーク

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【ネタ】長岡花火があるのは、実はキャバ嬢達のおかげだった話

   

少し前にも長岡花火ネタを載せたんですが、今回はさらに歴史を深掘りしてみました。

 

(まだの人は、こちらもチェックしてみてね。)

purudog.com

 

あの綺麗で豪華な花火を見ていて、ふと思った。

 

そもそもこの花火、いつからやってんの?

 

これだけ有名だから、もう江戸時代とか相当昔からやってんのかな?

ふとそんな思いが込み上げてきたから、久しぶりに歴史の勉強をしてみました。

 

【目次】

1. 最初の花火大会

2. 花火を打ち上げ始めた理由

3. 当時の花火紹介

4. 公共化

 

■1. 最初の花火大会

 

一番最初に長岡花火が打ち上げられたのは、

明治12年(1879年)の9月14日、15日の2日間!

 

江戸時代までは遡らなかったけど、100年以上の歴史があるらしい。

ちなみに明治13年って説もあるけど、明治12年が正しいと思ってます。

この説を作った人が、認識ミスで1年ずれてたと考えたら、話がしっくり来るので‥。

 

詳しい経緯については、次でじっくりと。

 

■2. 花火を打ち上げ始めた理由

きっかけを作ったのは、片貝にいた富豪の佐藤さん

そう、片貝と言えば、あの有名な片貝花火が上がる土地である。

長岡の近くだけど、四尺玉はギネスにも載っている超有名どころ。

 

この佐藤さんが、長岡にあった大島屋って遊郭の芸妓さん達を誘って、片貝の花火を見せたんだって。

 

ちなみに遊郭って、本来はかなりセクシュアルな風俗ってイメージなんだけど。

芸妓って表現がされてたから、音楽とか舞をする人なんかな〜と勝手に想像してます。

だから、今風に言えばキャバ嬢を誘う感覚だと思って、ここでは話してます。

 

 

 

佐藤「片貝の花火スゲェからさー!一回見に行かね?!」

 

あ、一瞬だけ佐藤さん降ってきた。

こんな感じで、言葉巧みに女の子たちを誘い出したんだろうね。

当時花火を見てガッカリする子なんて、まずいないっしょ。

 

そして、まんまと佐藤さんに誘われて、花火を見る事になったキャバ嬢達。

キャ1『わぁ〜すご〜い』

キャ2『花火師さん、たくましい〜』

って感じで盛り上がったんでしょうか。

 

キャバ嬢たちは花火の素晴らしさにすっかり酔いしれて、花火に目覚めてしまったわけだ。

 

そして佐藤の野望は、さらに躍動する。

 

佐藤「歓楽街にもさー、こんな花火上げたらみんな見にくるぜー。俺らで打ち上げてみね?!」

 

富豪だからできる大胆な発想。

そりゃみんな

『やるやるー』

『いっぱいぶっ放して〜』

ってなる。

 

彼女たちには、既にスポンサーがいっぱい付いている。

 

そう、その花火大会をする事が決まってから、彼女たちは自分のお客に、出資をお願いし始めたわけだ。

 

   

「あんなぁ〜、今度花火大会をなぁ〜、お店みんなでやる事になってん。あたいもなぁ〜花火打ち上げてほしいんやけどなぁ〜、なんとかできへん?なぁあんた〜?」

 

当時の大和魂を持った男客らが、歓楽街で必死に頑張ってる女の子達からこんなお願いされたらさ、

 

「俺に任せな!おめぇが忘れられなくなるような、デカいやつかましてやるぜ!」

 

ってなって、ますますムフフな関係になったりしたんだろうね。

 

そんな感じで、キャバ嬢が常連客から出資を募って花火を上げてたってのが、当時の流れらしいです。

 

だから打ち上げのスポンサーは、実質はその常連客ということになる。

 

でも、さすがに夜遊びしてるのがカミさんにバレるのはヤバすぎる。

 

そこで、表向きはキャバ嬢達がスポンサーになっていたというわけ。

 

そして打ち上がった花火を一緒に見て、

キャ『あのおっきいやつなぁ〜、あれアンタのやで。立派なやぁ〜』

客『グヘヘへへ』

 

みたいな感じで、楽しんでいたようだ。

 

ちなみに、この当時から2日開催だったようで。

家族で見る日と、キャバ嬢と見る日に分ける野郎たちが多かったらしい。

うまいことやりおる。

 

■3. 当時の花火紹介

今は打ち上げの時に、企業紹介とかアナウンスしてるよね。

 

音響のない当時は、掛け声で花火のタイトルとスポンサーを紹介してたらしいよ。

 

『5番、越後の暴君と無双乱舞 天領のお七』

『8番、他力本願寺 家出高僧のおたけび ぶろぐ屋の万子』

 

これは、あくまで妄想です。

もっとマシなタイトルだったに決まってるがな。

 

でも、タイトルはそのお客にちなんだ内容にしてもらってたみたいね。

 

■4. 公共化

そんな歓楽街を盛り上げるイベントだったけど、

大正時代に変化が起きた。

 

「な!ナガオカ」より引用

大正15年(1926年)に新聞社と長岡商工会議所が中心になって長岡煙火協会をつくり、市民のものにしようということで遊廓から引き上げたんです。

 

そこからが公式な長岡の花火大会になったわけだけど、この時既に花火技術は国内随一だったらしいよ。

 

スポンサーがキャバ嬢だったこともあって、綺麗な花火を上げたいって気持ちが強かったのが一つの要素だね。

花火師も客として通ったりしてたって言うから、そりゃー花火も発展していくのが分かる。

 

長岡花火には、ロマンも感じるこんな隠れたエピソードがあったのでした。

 

ジャーねっ!"